オーダー

フェス会場のバイトは目を灼くような暑ささえ除けば割のいい仕事だった。
時給も高いし、基本的にカウンターで商品を渡すだけだ。少々気分が高揚しすぎた客はいるものの、不機嫌な酔っ払いはそういない。下手な居酒屋よりずっと稼げるこのバイトを続けてしばらく経っている。
毎年ショーに出ているグループも違うらしいが、詳しくないので誰が出ているのかは知らない。客層が微妙に違うのでそれを察しているだけだ。
日常から離れた会場ならではの雰囲気を気に入っているのも、続けている理由の一つかもしれない。

客のいない間にそう考え事をしていると、ふと顔に影がかかった。
反射的に笑顔を作って「いらっしゃいませ」と口にする。が、顔を上げた瞬間に予想よりはるかに上にあった客の顔に思わず驚く。顔には出していないとは思うが、随分と背が高い。着ているパーカーを見るに、どこかのスタッフかショーの出演者か…。
綺麗な顔をしているから出演者かもしれないな、などと思いつつ笑顔を作って注文を聞く。

「    」

———何も聞き取れなかった。

ぼそりと低い声で答えてはくれたが、何も聞き取れない。漏れ聞こえてくるフェス会場の音のせいもあるかもしれない。だが、普段あまり聞かないほどの低い、どこか艶のあるような声は耳慣れず、何一つ聞き取れなかった。
申し訳ないと思いつつ聞き返すと、再度その薄い唇が開かれる。

「アイスティー、1つ頼む」

先程より大きく、かつ低い声に思わず「ひっ」と声が漏れる。怒らせてしまっただろうか…?
どきりと心臓が音を立て、バクバクと鼓動が早くなる。急いでお釣りを渡してドリンクの準備にかかった。こういう時に限って店にいるのは自分だけだ。
店のロゴの入ったプラスチックカップに氷を入れ、朝のうちにストックした紅茶を注ぐ。氷と相まって涼やかなそれに蓋をつけ、ストローを差し込む。

「お待たせしました」
「ありがとう」

小さく口角を上げて礼を言って受け取って去っていく姿は穏やかで、丁寧だった。もしかして怒っていた訳ではなかったのだろうか。

…そういえば、地声の低い友人が聞き取ってもらえなくて大きな声を出してしまうと言っていたような。