呑んだくれ

 カラン、と鳴るドアベルは本来、客の訪れを知らせる音だ。しかし、ドアの正面奥にあるカウンターに立つ店主らしき男はこちらには目もくれずグラスを磨いていた。

 コツコツと木板の張られた床を踏み、店内へ身を滑らせる。少しばかり小さな音でバラードが流れていた。かと思えば左奥、照明の落とされた方から音が響いているように聞こえる。

 ちらりと視線を投げると暗いステージとも言えぬほど心持ち高く上げられた板の上に一脚の椅子。そこに座る男がギターを抱え、少し離れてそれを取り巻くように並んだ丸机と椅子には様々な客が酒を片手に座って耳を傾けていた。時折チップとしてかコインや紙幣がステージ手前に置かれたギターケースへ飛んでいる。

 少し身体を傾けるだけでギイギイと音を立てる古びた木製の椅子に脚を余らせながら左脚を右膝に乗せて足を組み、ギターをその上に抱えやや節くれだった指で鳴らしていた。

 暗い中でもわかるほど雰囲気のある色男だ。

 心地よいメロディが気になりつつ、まずは酒をとカウンターへ近づいた。

 

「ビールを」

「はいよ」

 

 グラスを置いて指を立てる店主に従い、お代としてコインをカウンターに置く。カンと小気味良い音を立ててビール瓶のキャップが手早く開けられカウンターへと置かれた。それに礼を言って瓶の首を引っ掴み、未だギターを鳴らし歌う男の方へと近づいていく。

 シルバーのかき上げられた短髪の下、とろりとした瞳が近くに置かれた燭台の火で反射して煌めいている。口元には大きな傷跡があったが甘い顔立ちに映えて色気を放っていた。

 いい男だな。あわよくば口説けないかと下心を持ったまま歩みを進める。ある程度近づくと、その心地よいバラードの歌詞が聞き取れるようになった。

 が、その歌詞に違和感を覚え思わず足を止める。

 

“ウィスキーは最初はストレートアップで

二杯目からはオンザロック

氷が溶けて味が変わるのが気に入ってるんだ

ah〜”

 

 どんな歌詞だ。

 凡そ見目とメロディから予想もつかない酒の好みを語る歌に覚めるにつれ、歩きながら呑んでいたエールの炭酸が喉を刺激するのが分かった。ぴりぴりとした感触が心地よくて無意識に頭上で獣耳が揺れるも、思考がうまく回らない。

 

“ホットラムを眠る前に二杯

ラムコーヒーも美味いが眠りたいのか起きていたいのか分からないな”

 

 耳に入る歌詞に理解を拒みそうなのをどうにか抑えて近くの空いた椅子を引いて腰を下ろす。周囲を見れば場末のバーとは言えアルコールの匂いに包まれた者ばかりだった。面白がるようにコインを投げた角の男は何の獣人だろうか。自身も獣人だが一見では何の種かわからない。ましてこのスプリングレスには様々な種が暮らしている。

 

“呑んだくれてノックアウト

〆もいいが結局ストレートアップが美味い”

 

 どう聞いても酔っぱらいの歌だ。酒を求めてきたとは言え、差が激しすぎる。歌がうまいのが尚アンバランスで堪らず笑いが口から溢れた。

 とてもじゃないが今夜は一人寝になりそうだ。それでも離れる気にならないのは男が特有の色気と雰囲気を放っているからだろうか。

 ぐい、とビールを喉に流し込んでポケットからコインを一枚取り出し、ギターケースへと放り投げた。綺麗な弧を描いて落ちたそれは既に下に積み重なったコインと触れ合って小さな金属音を立てたが、鳴らされるギターと伸びるような歌声に覆い隠されて消えた。