「秘密主義って言うんだっけ?ソテツってよくわかんないこと多いよね」
「珍しいなお前がそんな話振ってくるの。だいたい、この店にいるやつは大抵そうだろ」
「まあ、そうなんだけどさ…。昨日、お客さんがそんな会話してたんだよね、ソテツは色々わからない〜って」
「へぇ?」
「今それ思い出したから。ね、例えば昨日の夜何してた?休みだったよね」
「ん、あぁ…。『寝て』たぜ」
「え?いや、まぁそうだろうけど、そうじゃなくて!」
「ふ、っはっはっは!なんだ、聞きたいのか」
「お疲れ」
「お疲れ様、お先。ソテツもあまり真珠を揶揄わないで帰りなよ」
「お疲れさん、そりゃこいつ次第だな」
「お疲れ様〜!…、みんな帰っちゃった、ずいぶん早いね」
「…?…、あ!そう言うこと!?やめてよー、もう!」
真珠が投げかけた問いに、その答えを察してか同じシフトに入っていた銀星やクーは手早く荷物をまとめると更衣室から出ていく。一歩遅れてソテツが意図するところに気づいたのか、頬を染めた真珠がその手に持っていたタオルを振りながら慌てた様子でロッカーの扉を閉めた。
が、その焦りのせいでロッカーの扉の隙間からはレッスン着を入れていた袋の紐がはみ出している。
「焦りすぎだろ。そんなにウブな反応されちまうと揶揄いたくなる」
「やめてってばー!」
「わかったわかった。ほら、ロッカー、閉まってないぞ」
「あ、ほんとだ。ありがと」
「なんか落とさないように気をつけて帰れよ」
「落としたらソテツのせいだからね。じゃあ!」
「じゃあな、お疲れさん」
薄らと頬を染めたまま、鞄を掴んで更衣室を出ていく真珠は先ほどまで揶揄われていたのを忘れたかのように未だ室内で着替えているソテツに声をかけていった。バタバタとやや大きな足音が遠ざかっていく。
誰もいない更衣室で1人着替えるシルエットが鏡に映って揺れている。衣ずれの音が止み、ソテツがロッカーの扉を閉める乾いた金属音が響いた。施錠をしようと考えたところで同じ並びの二つ隣のロッカー、ケイが使っていたはずのそれが視界に入る。
「ん…?まだ戻ってきてないのか」
羽瀬山に話があると言って1人ホール服を着たまま移動していったが、さほど時間のかかるものでは無いだろうとソテツが施錠用の鍵を持ったままだった。
まだかかるのなら持ったままの鍵をどうすべきか。
そう考えながら錆びた音を鳴らす扉を押して人気の無い廊下へと足を進める。手慰みに転がしている鍵が、目印にとつけられたタグと触れ合ってカチャリ、カチャリと音を立てた。
ほとんどの照明が落とされた店内の静寂を打つように革靴の音が響いて、その音は明かりを追うように進んでいた。
ひっそりと、零れるように漏れたその光を一切動くことのない白骨の鯨が見下ろしている。
ホールのバーカウンターに果たして探していた人影があった。足音で既に気づいているだろうに、カウンターへ凭れて視線を落としたままの横顔は重力に従って垂れた髪で隠れている。
「ケイ」
「…、まだ残っていたのか」
「鍵を持ったままだったからな。…?何だ、それ」
「ザクロだ」
「柘榴?…ああ、ザクロか」
「処分し忘れたようだな。熟れ過ぎてこれでは提供できまい」
「ふーん…」
ソテツの呼ぶ声に応えて上げられた視線とソテツのそれが絡む。そのまま近づいてカウンター越しに覗き込んだ手元には熟れてやや形の崩れたザクロが転がっていた。
「これ、食えるのか?」
「それは問題ないだろうが、…貴様、」
「ふっ」
ぐちゃり、と熟れ過ぎたザクロにすんなりと埋まっていく指がゆっくりと中を掻き分けるように広げられ、その切れ目から種が溢れる。裂くように動く無骨な指には零れ出た果汁が纏わり付き、その肌を滑ってバーカウンターへ落ちてゆく。シルバー色の、やや歪んだ鏡面のようなそこに垂れた赤い液体が一滴、また一滴と落ちて歪な円を作った。
抉り取るように動いた手の動きに合わせて取り出されたその果肉をゆるりと指先で抱えたままカウンターを挟んだ正面へと差し出す。
差し出されたその指をケイが眉を顰めたまま睨みつけていた。交わされる言葉はなく、ただその表情と指の動きだけが互いの意図を雄弁に語っている。
しばしの沈黙の後、前触れなくソテツがその果実を口に含んだ。と同時に空いていた左手をケイに伸ばす。反射的に身を引いたケイの動きよりほんの僅かの差でソテツの手が相手の首裏へ届く方が早かった。ぐ、と力を込めて引いた動きに反してケイがカウンターへ手をつく。その動きさえ見越して引き寄せた腕に引かれるままソテツとケイの唇が触れ合った。
ざらりとした舌がケイの口内へと侵入するが、きっちりと閉じられた歯列に触れるだけだった。こちらを睨めつけるその視線に僅かに口角を上げたソテツが、そのまま自らの口に含んでいた果肉を器用に舌で運んでケイの口内へと運ぶ。閉ざされたそこに無理に運ばれた果肉がケイの口の端から僅かに溢れて赤い果汁が白い肌を滑った。
大きなかけらが口から溢れそうになったところで思わず歯列が開かれたその瞬間、ソテツの舌が果肉を舌先に乗せたまま捩じ込まれる。果肉に移った体温が口内へと僅かばかりの熱を運ぶ。運ばれた、熱いとも言えないその温度にさらに眉を顰めたケイの喉を通ってザクロが体内へと落ちていった。
飲み込んだその後に、仕返しとばかりにケイの口内に侵入したままのソテツの舌に歯が立てられ、鉄の味が広がる。それに一つ鼻を鳴らすと手に力を込めて身を起こし、触れ合ったままだった唇を離した。今度は首裏から引き寄せる力はない。
「ハデスのつもりか?」
「まさか。そんな面倒なことするくらいならもっと良い方法があるだろ」
「どうであろうな」
カウンターの照明によって表情を明るく照らされたケイと背後から灯る照明の陰になってその顔の輪郭が黒く縁取られたソテツとの視線が絡み合って、カウンター越しに言葉が交わされる。
向き合ったまま口の端を拭う2人の唇にはそれぞれ異なる赤で濡れて艶やかに光っていた。