カウンターで受け取った小銭をポケットに突っ込み、空いたもう片方の手で紙製のカップを手に取った。スリーブがついたそれはじんわりとソテツの手へと熱を伝える。

 カップを持ち上げると店内に漂っていた挽いたばかりの珈琲の香りが一層強く立ち上った。

 木目の床を一定のリズムで踏みしめる足音が店内に落ちる。カウンターの奥で無愛想な顔をしたまま珈琲を静かに淹れているマスターがちらとソテツに視線を向けて「またどうぞ」と小さく口にした。何度訪れてもさながらゲームのNPCのようなその台詞に小さく笑い、振り返らないまま礼を述べてカップを持ったままの腕でドアを押し開けた。

 カラン、と古びたドアをくぐって外に出れば、ドアの上部につけられたベルが鳴る。途端、珈琲の香りで満たされていた鼻腔から肺へ潮の香りが一気に流れ込む。

 視線を向けるとちょうど防波堤のその遥か奥、水平線に日が沈んでいこうとしていた。空が橙に染まり、その光を受けてソテツの瞳が一層その色を増す。揺らめく波によるものか、明滅するように強さを変えるその光に睫毛も照らされ、その輪郭だけが濃くなり、沈む夕日の遥か上空で瞬く星のように白んで見えた。

 徐々に黒に染ってゆく空を見ながらカップに口をつけたソテツの鼻を珈琲の香りが抜けていく。喉を潤し、カップを持ったままの腕を下ろして1つ息を吐いた。その息が白い靄のように広がって消える。時折頬を撫でる風が刺すような冷たさを抱えていた。

 海岸横に広がる駐車場の防波堤のそば、ぽつんと停めたままのバイクをちらりと見て、横を通り抜けざまポケットから出した手でひとつ撫でる。まだ温かいエンジンの熱がうっすらと伝わるが、それも冷えた風によって急速に温度を失っていくのがわかった。

 指先でなぞるように滑らせ、その隣を通り過ぎると既にソテツの興味はバイクから波間に煌めく夕日へと戻っていた。

 

 沈んでいく夕日は既に半分以上が海の彼方へと消えており、頭上高くに浮かんだ月がその輪郭を濃く縁どってゆく。空が橙から暗い暗い群青、そして黒へと変化すると共に晒されたままの首筋を撫でる風も一層刺すような冷気を含む。

 ふらりと防波堤に沿って足を動かし、染まってゆく空を見つめながら進んで行く。迷いのない足取りは、けれどどこかに向かうわけでもなかった。

 そうして空が完全に黒へと染まった時、その足をゆるりと止めてそのまま海沿いからやや離れ、防波堤横に伸びていたフェンスに肘をつく。前屈みになってフェンスに体重を乗せると革のジャケット越しに潮風に晒されていたその冷たさが肌へとゆっくりと伝わる。手に持ったままのカップは既にその熱を失っていた。

 波間に反射する光もなく、ソテツの視界にはただただ黒い闇が広がっていた。その遥か頭上で月だけが滲むように儚げに輝いていた。