ふと瞼を開くと目の前には黒々とした闇が広がっていた。暗すぎてろくに自分の手すら見えないが、椅子にでも腰掛けているような体勢で体重を預けているのが体に当たっている硬い感触でわかる。教室にいたはずだが、いつの間にか寝てしまっていたのだろうか。

 であればここは夢の中なのか。移動した記憶もなければこんな暗闇に心当たりもない。––––路地裏にでも引きずり込まれて連れてこられたのなら別だが。

 数度瞬きを繰り返しながらぼんやりと自分の手を見つめる。次第に夜目が効くようになったところで昨日妹が貼ってくれた絆創膏が目に入った。

 なんの変哲もない簡素な絆創膏だ。他の傷に自分が貼ったものと同じもののはずなのにそれだけ妙にはっきりと見えるのは若干歪んだ貼り方のせいではない。我ながら都合のいい目に少し笑えてくる。

 膝上に投げ出した手のなかで絆創膏を一つ、指先で撫でながらなんとなしに立ち上がる。夢だと分かって動けるのは明晰夢というのだったか。なんの時かは忘れたが坊ちゃんがそんなことを言っていた気がする。

 

 身体を起こし、前後の距離感もよくわからない暗闇の中で俯いたまま瞬きをする。

 ––––瞬間、黒々としていた視界が赤に染まった。慣れたくもないはずなのに、よく知ったその色に身体が硬直することもなかった。ただ「赤いな」とだけ思う。

 視線を身体の真下へと動かすと赤い液体に膝下までつかっているのが見え、立ち上がる反動で下ろしていた腕を持ち上げて視界に入れる。その手のひらもやはり赤く染まっていた。

 手の、貼られた絆創膏に赤がついていることに、背筋を冷たいものが駆けていく。自分の喉から息の詰まる音が聞こえた。

 どくどくと煩い心臓の鼓動がやけに耳につく。

 その脈動はそのままに軽い足音が聞こえた。随分と小さく、連続するように続くその音は妹のそれによく似ていて、反射的に視線を上げて正面遠く、音のなる方へ視線を投げる。広がる赤が途切れたそこには、確かに妹の姿が見える。なぜだか靄がかかったようにぼんやりとしたそれに近づいて声をかけようと一歩踏み出すが、自分の足元からばしゃり、と大きな水音がして身体が強張る。跳ねた赤が妹にかかっていないかと考えると同時に、このままでは近づけないのだと動けなくなる。

 妹に、この赤をつけられない。

 近づいてはいけない。手を繋ぐなど、尚更できるわけがない。

 未だ耳の奥で鳴り続ける脈動は早く、けれど一定の感覚で続いていた。動けない自分をよそに身体は鼓動を刻んでいる。

 中途半端に出した足は赤に使っており、伸ばそうとしたまま止まっていた手からは徐々に力が抜けていく。

 下がっていく腕の近くを、どこからか舞ってきた一枚の紅葉がひらりと落ちていった。足元の赤にその紅葉が音もなく到達し、そのまま水面を流れるように静かに浮かんでいる。

 紅葉を中心に波紋が生まれ、小さなゆらめきを作って広がっていく。その波を微かに照らすものがあった。深い翠と青紫の小さな光が二つ、これまたどこからか漂うように現れ、中途半端に伸びたままの腕をぐるりと回ってそのまま妹の方へとまるで意思を持つように飛んでいった。

 空中でくるりくるりと螺旋を描きながら2つの光がまるで導くように進んでいく。気付けば足元の赤は消え去り、透き通った水が広がっている。

 一歩、また一歩と踏み出した足の下からバシャバシャと大きな水音が立って、果ての見えない空間に広がっていく。

 歩みに合わせて立っていた水音が消え、靴の硬い音が聞こえるようになった頃、遥か頭上で微かに月の影が見えた。視線を下ろすと正面には薄靄のかかっていた妹の背がはっきりとその輪郭を露にし、その手前に2人分のよく知ったシルエットがこちらを向いていた。その表情は逆光になっていて窺えないが雰囲気から笑みを浮かべているのだろうことが容易に知れる。そのシルエットの間、ちょうど妹の正面にぽっかりと空けられたそこへ自然と足が動いた。あるべき場所へ収まるように、手を伸ばすのではなく肩を並べて足を止めた。

 その足元には3つの影が落ちていた。