放浪

 荒野を一筋の道が走り、遠く遠く伸びている。風が砂を巻き上げて広い車道をゆっくりと埋め尽くしてゆく。果たしてどれほどの時間が経っているのか、どれほどその上を走るものが無いのか、生きた人間の少ないここではそれを知るものもない。

 その道を一台の車が土埃を上げながら進んでいた。大型のタイヤに車高の高いそれはその走ってきた道の荒さを示すように所々塗装が剥げ、あったはずのロゴは何処かで外れたのか欠けていた。

 開け放ったままの窓から風が吹き込んで通り抜ける。助手席に座る黒曜が咥えたままの煙草から立ち上がる煙もまたそれに揺られて運転席へと流れていった。ハンドルを握ったままのシンはそれを気にした様子もなく、ただ目前に広がる地平線を見つめている。

 轟々と吹く風音の中で不意にがさり、と紙の擦れる音がした。助手席で黒曜が古びた地図を広げている。幾度となく折り畳まれ、広げられたそれは草臥れ、折り目に沿って穴さえ開いていた。地図上には幾つかバツ印が書き込まれており、それが2人の通ってきた道を示すものでもあった。

 

「この先、一応街あるぞ」

「そうか…、前回より多少物が残っていればいいが」

「スタンドがありゃいいけどな。そろそろ給油しねぇとだろ」

「そうだな」

「そこそこでかそうだからな、スーパーくらいはあんだろ。紅茶くらい残ってんじゃねぇの。この状況で湯を沸かせる奴も少ねえ、…人間自体見かけねぇけどよ」

「ふ、琥珀色の座に還るか」

「あ?あー、そうだな」

 

 人の消えた荒野をひた走る車にあっても2人の会話はさほど変わりはしない。終わりへと続いてゆく世界にあっても愉しげで、その黒い車体がさながら方舟のように漂うように只管進む。その姿は照りつける陽にあてられ、陽炎の奥でゆらゆらと揺れていた。

 

***

 

 街にようやく辿り着く頃、既に日が沈み始めていた。空が橙に染まり、頭上高くには月が顔を出している。

 街の入り口近くには元は煌びやかな色で塗られていたのであろう、モーテルの寂れた看板がかろうじてそこに立っていた。

 目ざとくそれに気づいたシンが口を開く。その嬉しそうな顔に気づいた黒曜もまた視線をそちらへと向けた。

 

「モーテルだ」

「久々に体伸ばして寝れるかもな。つっても、あんたの体が入るベッドかはわかんねぇぞ」

「お前もだろう」

「ははっ、言えてんな」

 

 車をそのままモーテルの駐車場に停め、エンジンを止める。大きな音を立てて車を降りると、エンジン音さえない周囲には沈黙が落ちた。

 重い靴音を立てながら、黒曜が建物の扉へと近づいていく。その背を追いながらシンは人のいない受付口へと向かう。そうして黒曜が告げた番号の鍵へとそのまま窓越しに腕を伸ばした。壁にかかったそれを難なく掴み取り、黒曜の立つ扉の方へと足を向けた。

 一階の階段横にある閉ざされたままの扉へと黒曜が手を伸ばす。ドアノブを捻るとやや鈍い音を立てたが、やはり開くことはない。その黒曜の視界に左から鍵を摘んだシンの青白い腕が入ってくる。礼を口にした黒曜の手のひらへ落とされた鍵はやや錆びてはいるが鍵穴へと流れるように差し込まれた。

 金属の擦れる音と錠の開く音が辺りに響く。再度捻ったドアノブは問題なく回り、そのまま扉が押し開けられた。

 室内へと入った2人を迎えたのはどちらも予想だにしていないほど小綺麗なままの部屋だった。

 扉の先に続く短かな通路とその左手にはシャワールームへと続く扉、通路を抜けた右手には大きなベッドが一つ、左手には簡易的だがキッチンとソファ、さらにその奥にはひびこそ入っているが閉じられたまま外気を遮断する窓。2人で過ごすには十分すぎるほどの広さだった。

 

「いいんじゃねえか?」

「あぁ、予想以上に整えられているな…。受付もさほど荒れていなかった。しばらく人が管理していたのだろう」

「かもな。…、お!水道動いているぞ」

「ふむ…地形的に地下水でも引いていたか」

 

 互いに水道や寝具など部屋を確認しつつ、会話を続ける。ある程度室内を確認したところで2人の視線が絡んだ。そして再び揃って外へ出た。

 

「あんたは1階、俺は2階な」

「ああ」

 

 揃って受付口へと向かうと錆ついたその扉を黒曜が力任せに引き、外した。そのまま中へ入るとかかったままの鍵を掴んでそのうちの幾つかを後ろに立っていたシンへと投げ渡す。

 それを合図に各部屋に残された物資がないか確認する。幾度となく繰り返されたそれを今更2人で確かめる必要もなかった。分担だけを手早く済ませると、早速とばかりにシンの足音が遠ざかる。それを耳に入れつつ黒曜はざっと受付を見渡し、見つけたパッケージの掠れた缶詰を掴んで扉を潜る。そうして先程の部屋の前に置き、そのまま階段を登っていった。

 しばし物音が響き、2人分の足音が1つの部屋へと集まった。その頃には日は完全に沈んで暗い闇が辺りを包んでいる。

 ソファの前に置かれた机の上には2人が見つけた食料と数本のペットボトル、いくつかの電池が既に並べられていた。

 

「蝋燭と多分湿気ってるが煙草あったぞ」

「そうか、こっちは酒を見つけたぞ」

「お、ついてるな」

「それから、建物の裏に野外用の電源があった。少し触ったが動いたからそのままボイラーを稼働させている」

「まじでついてんな。湯が出るじゃねえか」

「随分と久しぶりだな」

 

 嬉しそうな雰囲気を出しつつ話すシンの顔を見ながら、黒曜はソファへと腰を下ろす。そして懐から取り出したライターで蝋燭へと火をつけた。ぼんやりと室内を照らすそれが立ったままのシンの顔をも照らす。さながら幽霊のような照らされ方に小さく黒曜の口元に笑みが浮かぶが、その理由には気づいていないのかシンは不思議そうな顔をしていた。

 車内にはまだ動く携帯用の電灯はあったが、やや暗い程度の蝋燭の灯りとその熱を照らされた顔を見ながら黒曜は肌で感じていた。やや焦げたような匂いだけが徐々に部屋の埃の匂いを覆い隠していった。

2022-09-09